東京都の高校相撲出身力士
東京都の高校の相撲部出身、または大会出場経験のある力士(最高位十両以上)。
足立新田 | 関東一 | 明大中野 | 目黒学院 | 安田学園
足立新田高校
千代大龍 秀政
卒業(中退)年 | 平成19年卒 |
本名 | 明月院 秀政 |
生年月日 | 昭和63年11月14日 |
初土俵 | 平成23年5月(幕下15枚目格付け出し) |
所属部屋 | 九重 |
最高位 | 小結 |
小学6年から葛飾白鳥相撲教室で相撲を始めた。高校では目立った実績はないが、日体大進学後に急成長し、4年時に国体とインカレを制し幕下15枚目格付け出し資格を得た。 |
関東第一高校
十文字 友和
卒業(中退)年 | 平成4年中退 |
本名 | 十文字 友和 |
生年月日 | 昭和51年6月9日 |
初土俵 | 平成4年11月 |
所属部屋 | 立田川→陸奥 |
最高位 | 前頭6 |
青森県から越境入学。本人は中卒後に入門したかったが、両親が高校進学を入門の条件としたため、部屋から高校に通っていた。しかし、部屋にいながら初土俵を踏まずに高校に通う生活に限界を感じ、半年で中退して初土俵を踏んだ。相撲部には入っていたが、大会での入賞歴はない。 |
明大中野高校
栃葉山 暁輝
卒業(中退)年 | 昭和40年卒 |
本名 | 臼井 仁志 |
生年月日 | 昭和21年5月7日 |
初土俵 | 昭和41年1月 |
所属部屋 | 春日野 |
最高位 | 十両9 |
岐阜県出身。中2の時に元・栃錦の春日野にスカウトされ、卒業後に上京し部屋に住み込み、初土俵は踏まずに高校に通った。2年、3年と2年連続で高校横綱に輝き明大に進学したが、1年で中退して初土俵を踏んだ。平成4年に45歳の若さで他界。 |
若乃花 勝
卒業(中退)年 | 昭和63年中退 |
本名 | 花田 勝 |
生年月日 | 昭和46年1月20日 |
初土俵 | 昭和63年3月 |
所属部屋 | 藤島→二子山 |
最高位 | 横綱 |
弟の中学卒業に合わせて、2年で中退して父の下に入門。 |
若孜 浩気
卒業(中退)年 | 平成3年卒 |
本名 | 中尾 浩規 |
生年月日 | 昭和48年2月13日 |
初土俵 | 平成7年11月(幕下60枚目格付け出し) |
所属部屋 | 松ヶ根 |
最高位 | 前頭12 |
2年時に十和田大会団体優勝、3年時に高校総体団体優勝に貢献した。個人では2年時に新人戦優勝。中大−日本通運を経て入門。身長が新弟子検査の規定に足りなかったが、幕下付け出しのため合格した。 |
玉力道 栄来
卒業(中退)年 | 平成5年卒 |
本名 | 安本 栄来 |
生年月日 | 昭和49年4月19日 |
初土俵 | 平成9年3月(幕下60枚目格付け出し) |
所属部屋 | 片男波 |
最高位 | 前頭8 |
3年時に金沢大会と十和田大会で個人優勝、東西対抗戦重量級優勝。明大でも全国大会で活躍し、4年時には全日本でベスト4入りした。現・松ヶ根親方。 |
魁道 康弘
卒業(中退)年 | 平成6年卒 |
本名 | 田中 康弘 |
生年月日 | 昭和50年10月24日 |
初土俵 | 平成10年3月(幕下60枚目格付け出し) |
所属部屋 | 友綱 |
最高位 | 十両4 |
小学3年から立川練成館で相撲を始め、5年でわんぱく横綱、中学3年で中学横綱に輝く。高校では3年時に十和田大会団体優勝に貢献した。中大を経て入門。 |
栃東 大裕
卒業(中退)年 | 平成7年卒 |
本名 | 志賀 太祐 |
生年月日 | 昭和51年11月9日 |
初土俵 | 平成6年11月 |
所属部屋 | 玉ノ井 |
最高位 | 大関 |
小学6年で相撲を始め、中学からは明大中野で相撲に打ち込んだ。高校2年の時に中退して父の下への入門を希望したが、「高校横綱になってから」と言われ、3年で高校横綱を獲得して在学中のまま初土俵を踏んだ。2年時に金沢大会個人優勝、十和田大会団体優勝、3年時に高校横綱のほか東西対抗戦重量級優勝。現・玉ノ井親方。 |
皇風 俊司
卒業(中退)年 | 平成17年卒 |
本名 | 直江 俊司 |
生年月日 | 昭和61年9月23日 |
初土俵 | 平成21年1月 |
所属部屋 | 尾車 |
最高位 | 前頭13 |
小学4年から府中住吉クラブで相撲を始めた。高校では2年時に新人戦ベスト16、3年時にインターハイベスト16などの実績を残す。早稲田大学進学後も相撲を続けていたが、3年秋に左肩を傷めて退部した。入門は考えていなかったが、府中住吉クラブの先輩である元・若兎馬に勧誘され、入門を決意した。早大から78年振りの関取に。 |
目黒学院高校
逆鉾 昭廣
卒業(中退)年 | 昭和52年中退 |
本名 | 福薗 好昭 |
生年月日 | 昭和36年6月18日 |
初土俵 | 昭和53年1月 |
所属部屋 | 井筒 |
最高位 | 関脇 |
在校時は目黒高校。中学卒業後に父の下に入門するつもりだったが、体重が足りなかったため高校に進学した。主に団体戦で活躍していたが、体重が基準に達すると中退して入門した。現・井筒親方。 |
玉ノ国 光国
卒業(中退)年 | 平成6年卒 |
本名 | 岡部 光国 |
生年月日 | 昭和50年12月28日 |
初土俵 | 平成10年3月(幕下60枚目格付け出し) |
所属部屋 | 片男波 |
最高位 | 十両7 |
在校時は目黒高校。3年時に宇佐大会個人優勝。東洋大4年時に全日本でベスト16に入り幕下付け出し資格をクリアし、弟の玉乃島とともに入門した。 |
大道 健二
卒業(中退)年 | 平成13年卒 |
本名 | 中西 健二 |
生年月日 | 昭和57年8月21日 |
初土俵 | 平成17年3月 |
所属部屋 | 阿武松 |
最高位 | 前頭8 |
小学4年から葛飾白鳥相撲教室で相撲を始めた。中学3年で全中ベスト8、高校では3年時にインターハイベスト16。専修大を経て大相撲入り。四股名は母校の大道中学校に因んでいる。現・小野川親方。 |
安田学園高校
寺尾 常史
卒業(中退)年 | 昭和54年中退 |
本名 | 福薗 好文 |
生年月日 | 昭和38年2月2日 |
初土俵 | 昭和54年7月 |
所属部屋 | 井筒 |
最高位 | 関脇 |
中学時代はバレーボール部で、相撲は高校から本格的に始めたが、実績は不明。2年時に母(寺尾節子さん)が亡くなり力士になることを決意し、父の下へ入門した。亡き母への思いは強く、入門当初は四股名を「寺尾節男」と名乗っていたほどである。現・錣山親方。 |
大刀光 電右エ門
卒業(中退)年 | 昭和54年中退 |
本名 | 河原 修 |
生年月日 | 昭和38年9月12日 |
初土俵 | 昭和57年1月 |
所属部屋 | 友綱 |
最高位 | 前頭15 |
上記・寺尾の1年後輩。1年で中退後は食肉会社で働いていたが、そこに出入りしていた千葉経団連の人が先代友綱親方(元十両・一錦)の知り合いだったことから角界入りを勧められ、入門した。幕内在位は1場所のみで、廃業後はプロレスラーに転向した。 |
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